コラム

「大切なこと」をスケッチする⑦ ―違いの配慮と自尊心の尊重―

 
「福は内、鬼は外」という言葉があります。

この言葉が示すように、日本には内=家庭、外=家庭の外、という区別があります。

これに対応するのが公私です。
「私」は私事、家庭などの内輪、「公」はそれらの外部を意味します。
具体的には、地域、学校、職場、アルバイト先などです。
公の場の多くは役割分担がされています。

しかし、なかには必要だけれど、担当が決まっていないものがあります。

例えば、PTAや自治会の役員、あるいは、地域にいる民生委員です。それらは、「誰かがしなければならない公共の事柄」です。

こうした「公共の事柄」に関することで、悲しい出来事が起こってしまいました。

以下、毎日新聞の記事です
(https://mainichi.jp/articles/20200731/k00/00m/040/044000c 2020年8月1日閲覧)
 
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知的・精神障害がある男性(当時36歳)が1人暮らしをしていた大阪市内の市営住宅では、2019年11月、自治会の班長を住民同士がくじ引きで選ぶことになった。
男性は障害を理由に選考から外してもらうよう役員らに求めたが、「特別扱いできない」と聞き入れられなかった。
役員らは集会所で男性と対応を話し合った際、障害があることや日常生活への影響を記すよう要求。
男性が書面を作成すると、役員らは他の住民にも書面を見せて男性のことを紹介すると説明したという。
翌日の11月25日、男性は自宅で命を絶った。
書面は便箋2枚に手書きでつづられ、「しょうがいか(が)あります」という言葉で始まる。
「おかねのけいさんはできません」「ひとがたくさんいるとこわくてにげたくなります」「ごみのぶんべつができません」などと苦手なことを列挙し、文頭に×印を付けた。「となりにかいらんをまわすことはできます」などと、可能なことには○印を付けたとみられる。
……中略……
近くに住む兄(41)によると、亡くなる前夜、男性は「言いたくないことまで根掘り葉掘り書かされた。さらし者にされる」とため息交じりに話し、落ち込んでいたという。
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自治会の役員の人は、その人を、障がいがあるからといって特別視せず、公平に対応しようとしたのでしょう。
とはいえ、ここには明らかに欠けていることがあります。それは、

(1)それぞれの人の立場に立って考えるという配慮
(2)その人の自尊心の尊重です。自分のできないことをいろいろと書かされ、それを自分が住んでいる人たちに曝されることは、恥ずかしく、自尊心を大きく傷つけられる

ことです。男性にとってそれは死を選ぶほど辛いことだったのです。

地域で共に暮らすためには、一人ひとりの違いを配慮し、かつ、自尊心を尊重することが大切です。

こうした考えが地域に浸透し、同じことが繰り返されないようにするためにはどうすればいいのでしょうか。

地域で暮らす私たち一人ひとりに、この問いについて考える責任があると感じます。

最後になりましたが、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。
 

この記事を書いた人
中村 剛
中村 剛 - なかむら たけし -
福祉現場の経験と哲学という営みを通して、社会福祉の根拠となる「知」を明らかにしたいと思っています。

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