コラム

忘れられない自閉症児との出会い

 
私が「児童相談所」に勤めている時の話です。

当時、アメリカのベッテルハイム博士は、「自閉症とは、冷たく拒否的で冷蔵庫のような心をもった母親(冷蔵庫マザー:refrigerator mother)に対して、心を閉ざしてしまった子どもの『情緒障害』である」と言っていました。

私は週1回、自閉症の5歳の女の児に「プレイセラピー(心理療法の一つで遊戯療法とも言う)」を行っていました。
非指示的・絶対受容的な態度で関わっていましたが、なかなか行動が改善せず、悩んでいました。

そんな折、上司から「やる気があるのなら家庭に入りなさい」と言われ、保護者の了解を得て家庭に入りました。

それから丸4年、月曜日から金曜日までの家庭療育が始まりました。
女の児の言葉はオウム返しのみでコミュニケーションはとれず、少しでも意にそぐわないと「パニック(奇声、顔をひっかくなど)」を起こし、家族は途方に暮れていました。

私は「生活療法」を行いました。非指示的・絶対受容的な態度ではなく、何をすべきかをわかりやすく明確に伝え、パニックを起こしても、淡々とすべきことをやらせるというものです。
日課として、マラソン、食事、入浴、就寝指導を行いました。
指示がなかなか通らず、悪戦苦闘の日々が続きましたが、ある日の食事指導を契機に指示が通りやすくなりました。
その食事指導は、女の児が食べるのを拒否し、奇声をあげ、自分の顔をひっかいても、私の腕に嚙みついても、食べさせるというものでした。
女の子が完食した時には、女の子を褒めちぎりました。
その時の様子は今でも鮮明に覚えています。

私の腕にはその時に噛まれた歯形がくっきりと残っています。

それまでは、家族や周りの人は女の児がパニックを起こすと、女の児のしたいことを許してしまうという状態でした。
それでは、社会に適応できません。
その後、小学校に入学し、文字や計算などの学習指導が生活療法に加わりました。

私は女の児との関わりを通じて、「忍耐・根気・体力」が大切なことを学びました。

この記事を書いた人

RELATED POST関連記事

  • 変わるのはだれか
      本学で行っているSDGs(持続可能な開発目標)の取組み。 今となっては生活していればあ... [...続きを読む]
  • 「大切なこと」をスケッチする①―忘れないこと、思いを馳せること
    先日、「すべての子どもが、大人になれますように」という言葉が目に留まりました。 『グッド・ドクター』... [...続きを読む]
  • 経験からの気づき ~すべての人があたりまえに暮らせる社会~
    大学院生のとき、重症心身障害者の施設でアルバイトをしていたことがあります。 時間に余裕があったので、... [...続きを読む]

LATEST POST最新の記事

  • 本学伝統のコミュニティアワーのテーマに関する覚書(後編)
      本学が開学以来、毎年恒例となっているコミュニティアワー報告会の(対面でおこなわれた)2... [...続きを読む]
  • 日本で唯一!関福大の「スポーツ福祉学」とは?
    従来、スポーツと福祉の関わり方と言えば、アダプテッドスポーツ、障がい者スポーツ(パラスポーツ)、リハ... [...続きを読む]
  • なぜ社会福祉学部で政策やビジネスを学ぶのか
    タイトル、2024年4月から関西福祉学部社会福祉学部社会福祉学科では、新たに社会マネジメント専攻が立... [...続きを読む]