コラム

自分が生まれてきた理由(意味)―私の幸福論

自分が生まれてきた理由(意味)は何だろう。

普段、こんなことを考える人はめったにいないと思います。この手の問いを考えるのは、なんらかの理由で悩んでいる人か、文学や哲学が好きな若者と相場が決まっています。
いま、哲学と書きましたが、学問としての哲学は、「自分が生まれてきた理由(意味)は何だろう」という問いを立てることは、ほとんどありません。
この問いは学問とは違った、いわゆる人生哲学といわれるものに属する問いです。

 私は、「自分が生まれてきた理由(意味)」について悩んだり考えたりしたことはありません。
ただ、自分が生まれてきた理由を感じるというか、確信することが2つあります。

1つは、子どもの存在です。自分がこの世に生まれてきた理由(意味)は、3人の子どもを、この世界に送り出すためである、と確信しています。
もう1つは、新たな知見を示した学術書の内容がほぼ出来上がった時です。
その時、「自分は、これを書くために生まれてきたんだ」と感じます。この2つは、あくまで「私にとって」であり、決して普遍化できるものではありません。

 私たちは誰もが、たまたま(偶然)、この世界に生を受けました。
にもかかわらず、自分が生まれてきた理由(意味)を確信したとき、自分がこの世界に生まれてきた必然性のようなものを感じます。

それは、この世界における「わたしという存在の最大限の肯定」です。この肯定こそ、大切な人から「あなたがいてくれるから」という言葉と並ぶ、人を幸せする最も重要や要因だと思います。

この記事を書いた人
中村 剛
中村 剛 - なかむら たけし -
福祉現場の経験と哲学という営みを通して、社会福祉の根拠となる「知」を明らかにしたいと思っています。

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