コラム

援助という後ろめたさ

 
コラム投稿も第4回目となります。
第1回目は、援助関係には不平等性が潜在しており、人の支援をしようとする者は、それに気づく、心の細やかさが大切だというお話を書きました。【第1回コラム(リンク)】

今回は第1回目のコラム内容と関係することについて、書いてみたいと思います。

援助関係には不平等性が潜在していることは先に述べた通りですが、そもそも“支援”や“援助”という言葉自体にも、ある種の傲慢な響きを感じることがあります。

しかし、なかなか適当な言葉がなく、「サポート」という言葉を使って、少しマイルドなニュアンスを持たせたりすることもあります。
このように言うと、単なる言葉遊びのように感じるかもしれませんが、こういった言葉にひっかかってしまうのは、援助に関わる人達がどこかで感じている「後ろめたさ」と関係があるのではないかと思います。

それについて、次のようなエピソードがありました。
私は長年、児童養護施設で虐待を受けた子どもたちと接してきました。
先日、卒園生と話すことがあり、施設で生活していた際に、嫌だと感じたことはなかったかをたずねてみました。
私に気を遣ったのか、おおむね肯定的なことを答えてくれましたが、それでも職員に対して「僕らと同じ経験をしたことがないから、どうしても自分達の気持ちを分かってもらえないと感じていた」とのことでした。
“援助”という営みに自ら選んでたずさわりながら、どんなに分かろうとしても、分かりきることが現実的には不可能ということ。これが、援助者がどこかで感じている「後ろめたさ」なのかもしれません。
また真摯に援助を行っている人であればあるほどは、本当に大変な人に出会った際、自分がただ普通に生活をしてきたことに罪の意識を感じるという場合もあるかもしれません。

このような援助者が抱く感覚は心理学的には名前がついており、支援のためにコントロールする方法も示されていたりします。
しかし、心理面接などのように限定的な場面であればともかくとして、生活の中で子ども達と向き合い、その育ちを支えていくような場では十分ではないように感じます。
私が出会った多くの子ども達は大人に対して、“公平平等さ”だけではなく、“特別”を求めていることが多かったように思います。
その中で、「分かってもらえた」という感覚は決定的に重要なものと言えます。
技術的なことが必要ないとは思いませんが、生活の中で子ども達に向き合った際に求められるのは、技術を越えて、その人の生き方にまで及ぶのかもしれません。

同じ経験はできないし、分かりきることもできないし、完璧な人間でもないけれど、少なくとも“一生懸命に生きている”ということが、援助者に求められることなのかもしれません。

この記事を書いた人
高田 豊司
高田 豊司 - たかた とよし -
心療内科クリニック、スクールカウンセラー、重症心身障害児施設等を経て、児童養護施設の心理職として勤務してきました。授業だけではなく、現場で役立つ実践的な学びが得られる機会を作っていきたいと考えています。また研究室が、在学中のみならず、卒業後の学生の皆さんの心の拠り所となれば考えています。

RELATED POST関連記事

  • 経験からの気づき ~すべての人があたりまえに暮らせる社会~
    大学院生のとき、重症心身障害者の施設でアルバイトをしていたことがあります。 時間に余裕があったので、障害程度が特に重い人たちの支援に精を出していました。 当時は心の底から「利用者のために」と思って支援 [...続きを読む]
  • 「大切なこと」をスケッチする①―忘れないこと、思いを馳せること
    先日、「すべての子どもが、大人になれますように」という言葉が目に留まりました。 『グッド・ドクター』というドラマの再放送です。 そこには2人の女の子が登場します。脳死状態になった4~5歳くらいの小さな [...続きを読む]
  • 体育とは何かを考える
    体育とは何か?  皆さんがすぐ思い浮かべるのは、おそらく小学校から高等学校まで学校で習った学校体育ではありませんか? その内容は運動遊びやスポーツが主だったと思います。学校の先生が児童や生徒たちに、そ [...続きを読む]

LATEST POST最新の記事

  • 変わるのはだれか
      本学で行っているSDGs(持続可能な開発目標)の取組み。 今となっては生活していればあらゆるところで耳にする言葉なのではないでしょうか。 先進国から開発途上国への一方的な「支援する−支援 [...続きを読む]
  • 支援を支える考え方の一つ
      私たちの行動は、目的を果たすために行われます。 例えば「大学に行きたいから、勉強する」し、「全国大会に行きたいから、練習する」といった具合です。 だから目的を果たせないと分かっていたら、 [...続きを読む]
  • 政教分離と私立学校
      高校生から「うちの学校では宗教の時間がある。これは憲法違反ではないのか。」と質問されることがあります。 確かに、日本国憲法第二十条「①信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる [...続きを読む]
PAGE TOP