コラム

「あたりまえ」について

私たちは日常生活で「あたりまえ」という言葉をよく使い、耳にします。

学校に行くのは「あたりまえ」。

異性を好きになるのが「あたりまえ」。

大人の言うことを聞くのは「あたりまえ」などなど。

「あたりまえ」に近い言葉に「常識」とか「普通」などがありますが、いずれも「人間が積み重ねてきた経験を、大多数の人が受け入れている」ことを意味しています。
だから、「あたりまえ」に身を委ねれば、それほど大きな問題にはなりません。
その意味で、非常に便利な言葉です。

だけど一度立ち止まって考えてみると、「本当かな?」「なんでだろう?」と思うような「あたりまえ」があります。

例えば「男が女を、女が男を好きになる」のが「あたりまえ」とされています。
今でもそうかもしれません。
しかし、「セクシュアル・マイノリティー」の人たちが声を上げたことで、それまで「あたりまえ」とされていたことが「あたりまえ」でなくなり始めてきています。

これは、大多数の人が「あたりまえ」と思っていたことに対する「問い」から発せられています。

「あたりまえ」は経験によって形づくられてきました。
その意味で経験はとても重要です。
しかし経験は「そうである」ということを教えてくれるだけです。

大切なのは、「なぜ、そうなのか?」と問うことです。

その問いがあって、初めて経験は意味を持ち、「あたりまえ」が「あたりまえ」になるのです。

若い人たちは大人に比べて経験が浅いので、「あたりまえ」に押さえつけられてしまうことがあります。
でも、だからこそ世の中にある「あたりまえ」に疑問を持つことができるのです。
世の中にある「あたりまえ」に疑問を持ち、理不尽な「あたりまえ」に立ち向かって社会を良くすることができるのは、若い人たちだけなのです。

これから大人になる皆さんが多くの経験をして世界を広げ、本当の意味での「あたりまえ」とはなにかについて考えてくれること、そして、誰もが「あたりまえ」に生きることができる社会を実現してくれることに、期待をしています。

この記事を書いた人
岡崎 幸友
岡崎 幸友 - おかざき ゆきとも -
専攻は倫理学で、特に「善の実現に至る道筋」に関心があります。また独我論からの脱出が課題です。

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