コラム

正しいはコワイ① 「正しさ」は攻撃性にもなる

体罰やパワハラ、DVや児童虐待などは、近年、社会的な注目が集まっていますが、同様の暴力事案は後を絶ちません。

その加害者は、周囲が驚くほどの強い怒りと攻撃的言動(暴言・暴力)を示すと同時に、「あれは指導やしつけの一環だった」という供述が多いことも特徴のひとつです。

つまり、「悪いのは相手のほう」「自分はそれを正そうとした」という考えが根底にあり、「正しさ」と「攻撃性」の関係について考えたいと思います。

そもそも人間にとって「怒り」は、自らを守る場面などで必要になります。

例えば、自分がお店のレジにちゃんと並んでいるのに誰かに割り込んできたらイラっとするのは当然のことです。
そして、傷つけられた気持ちや不利益を取り戻そうと注意(攻撃)するか、自分が危険な目に遭うことや他の人の迷惑になるから我慢するかなどと考えて、実際の行動を選択します。

つまり、怒りの感情と攻撃という行動のあいだには、本来、選択の余地があります。

一方で、体罰やパワハラ、DVや虐待は、強すぎる怒りと攻撃行動(暴言・暴力)を、特定の相手に執拗に繰り返します。
それ程までに相手を攻撃し続けるためには、そうするだけの「理由」が必要になります。

実はそれこそが、加害者なりの「正義」や「正しさ」です。

例えばSNSの世界では、自分とは無関係な相手でも失敗や落ち度があれば遠慮なく攻撃します。
相手は非難されても仕方ないことをしたし、自分は当然の指摘をしているという理屈です。
そしてそれは、ネットのような匿名性がない実際の対人関係においても、相手を堂々と攻撃できる理由になるようです。

こうして「正しさ」は、「怒り」と「攻撃」を正当化する材料になります。

そして、相手が反省や謝罪を示さなければ、あいつは分かっていない、分かるまで言い続ける、もっと強い方法が必要だ、というように更に激しい攻撃を繰り返すための燃料にもなります。

ちなみに、相手が反省と謝罪を示したら、自分は相手のためにしてあげたという感覚を得えています。

つまり「正しさ」と「攻撃性」はハマりやすい組み合わせであると共に中毒性もあることが分かります。

このように「正しさ」はコワイ結果をもたらすことがあるので注意が必要です。

この記事を書いた人
森 歩夢
森 歩夢 - もり あゆむ -
児童養護施設で十数年間、心理職として勤務していました。その経験を活かして、学生のみなさんには実際の支援現場で役立つ内容を伝えたいと思います。また、僕自身が聴覚障害者であり「みんなとは違う」という体験からカウンセラーや福祉に興味をもちました。今でも「自分だけ」という悩みを抱える人に寄り添える支援者でありたいと思っています。

RELATED POST関連記事

  • 人を人として見れなくなる福祉教育の弊害
      福祉に関して学生と接していて気を付けていることがあります。 それは知識や技術を重視しすぎることで起きがちな「専門バカ」を生み出さないために何が必要かということ、そのための片方の重しをどの [...続きを読む]
  • 私の愛する音楽家~バッハ~
      私が10年間かけて続けてきた活動の一つに、介護保険施設での音楽ボランティア活動があります。 音楽は演奏する側も聴衆側をも幸せにします。 今日は、私が愛してやまない音楽家バッハの生涯をたど [...続きを読む]
  • 「感性」を磨く
      人間は集団を構成して生活をしています。 その最大が社会です。 人数が多くなればなるほどトラブルが多発するので、社会にはさまざまなルールが設けられています。 そのルールは、大多数の人が受け [...続きを読む]

LATEST POST最新の記事

  • 変わるのはだれか
      本学で行っているSDGs(持続可能な開発目標)の取組み。 今となっては生活していればあらゆるところで耳にする言葉なのではないでしょうか。 先進国から開発途上国への一方的な「支援する−支援 [...続きを読む]
  • 支援を支える考え方の一つ
      私たちの行動は、目的を果たすために行われます。 例えば「大学に行きたいから、勉強する」し、「全国大会に行きたいから、練習する」といった具合です。 だから目的を果たせないと分かっていたら、 [...続きを読む]
  • 政教分離と私立学校
      高校生から「うちの学校では宗教の時間がある。これは憲法違反ではないのか。」と質問されることがあります。 確かに、日本国憲法第二十条「①信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる [...続きを読む]
PAGE TOP