コラム

「推し」の心理

 
近年、「推し」ということをよく耳にします。

アイドルや芸能人を指して「私の推しは〇〇」という発言や、大人気アニメのタイトルにも用いられています。

それ程までに一般化した「推し」とは、どのようなことなのでしょうか。

まず、「推し」という文字からは「推薦」をイメージされます。
実際、私の「イチオシ」という言葉を縮めたものとして「推し」という言葉を用いる人も多いようです。
つまり、自分のお気に入りや他人に薦めたいものであり、その対象については「好き」であると同時に「尊敬」のような想いも含まれていることが分かります。

一方で、「尊敬」「好き」ということと「推し」には異なる面もあります。
それは、「推し活」という言葉が示すように、関連するグッズの購入や投票のほか、イベントへの参加などの活動です。そのように考えると「好き」「尊敬」は気持ちであり、「推し」とは行動・活動も含むことが分かります。
また、好きなアーティストの楽曲を購入して楽しむことは「自分のため」の行為ですが、「推し」はあくまで「対象のために」行います。

では、そのような応援をとおした「推し」をナゼ人はするのでしょうか。
スポーツの応援では選手に対して、憧れや自分自身を選手に投影する面がありますが、「推し」ではその対象の活動・成長を応援する立場に徹することがひとつのポイントです。

応援をとおして「推し」の対象との瞬間や感情を「共に」経験し、それが手段であると共に目的でもあります。

「推し」がいることで(実際には推し活をすることで)「人生が豊かになった」「生きがいになっている」という人がいます。
それは、対象からの見返りではなく、まず人間には「応援したい」というニーズが備わっているからではないでしょうか。

それが満たされることが「推し」であり、魅力や幸せを感じることいつながるのでしょう。
それらは、スポーツであれば試合がある日を心待ちにして楽しく過ごせることと同じです。

また、このような関係性は応援する側にもある自覚をもたらします。例えば、サッカー日本代表のサポーターが試合後のゴミ拾いをすることは有名ですが、それは「共にある」が故に対象に恥じない自分達であろうとする心理でしょう。

そのように考えれば、人は応援したい生き物なのではないでしょう。

ただし、このような「推し」に関しては、「ガチ恋」「リアコ(リアルに恋している)」という状態を発症する人もいるようです。
一般的には、「推し」の先にあるものと言われますが、相手からの見返りを期待するため「推し」とはその入口が異なる別モノです。
近年では、そのような応援したい心理を悪用した犯罪もあり(コンカフェや地下アイドルの事件など)、注意が必要です。「推し」疲れなどもありますが、そもそも「推し」はその対象と「共に幸せになる」ことです。

その本質を思い出して欲しいと思います。

参考「NHK となりのプロフェッショナル 推し活の流儀」

この記事を書いた人
森 歩夢
森 歩夢 - もり あゆむ -
児童養護施設で十数年間、心理職として勤務していました。その経験を活かして、学生のみなさんには実際の支援現場で役立つ内容を伝えたいと思います。また、僕自身が聴覚障害者であり「みんなとは違う」という体験からカウンセラーや福祉に興味をもちました。今でも「自分だけ」という悩みを抱える人に寄り添える支援者でありたいと思っています。

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