言うまでもないこと
先日、「暗黙の了解です」「言うまでもない前提なので」という事態に直面しました。
個人的には「ちゃんと言ってくれていたら・・・」という気持ちになりましたが、このような言わずもがなの事項は身近によくあることです。
例えば、外部からは分かりにくいがある集団内では習慣や慣習として既に定着済みの事柄や、明示することでむしろ弊害が生じるなどの場合があります。
ただし、その齟齬が表面化すると少し面倒な展開になりがちです。
例えば、施設見学に行く際の服装として「Tシャツとジーパンは不可」「色柄が華美ではないもの」などと大学からは学生に指示します。
当日、ある学生が白シャツに黒スラックス、サンダル姿で現れました。
サンダルで来た理由をたずねると「靴についての指示はなかったので」と戸惑い気味に答え、「そんなことは言うまでもないことだ」というやりとりがあるかもしれません。そして、それを理由に目的である施設見学に参加できたか否か、その結果が分かれる場合もあるでしょう。その際、学生が直面する参加/不参加という事態に対する理解(認知)は、「説明はなかった」ことへの受け取り方(認知)と関連します。
アメリカの心理学者フェスティンガーは「認知的不協和」理論として、以下のような説明をしています。
仮に、施設見学を出来たのであれば、満足感を伴う「良い認知A」が生じ、説明のほうが不十分だと感じていた「嫌な認知B」との間で、学生は心理的不協和の状態を抱えます。
そして認知AとBが拮抗する場合、一方を他方に合わせる形でその解消が図られます。
つまり、認知Aが「良い」ものである場合、不満感であった認知BにAを合わせるか、またはBのほうを不満という程ではない等のかたちに修正するわけです。
また、もし見学が叶わなかったとしても、「自分の認識不足」「仕方なかった」等と納得できていた認知Bがあれば、認知Aは「嫌」ではあるが「仕方ない」等に書き換えられる展開もあり得ます。
そのように考えれば、過去でも現在でも、必要に応じて丁寧な説明がなされることはまず大切です。
たしかに、「言うまでもないこと」は存在しますが、「言う間もない」状況ばかりではありません。
また「言う必要がない」という姿勢であれば、対話にはなりにくく不協和の解消が双方にとって建設的ではない結果に陥りがちです。
ところで、私が体験した「暗黙の了解」や「言うまでもない前提」がどのようなものだったか、お分かりになったでしょうか。
本当に、言わなくても分かるのか書面にて実験してみましたが、分かるわけがないですよね。
だからこそ「もう少しだけでも文章化してくれませんか?」と思った次第です。
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