コラム

支援を支える考え方の一つ

 
私たちの行動は、目的を果たすために行われます。

例えば「大学に行きたいから、勉強する」し、「全国大会に行きたいから、練習する」といった具合です。
だから目的を果たせないと分かっていたら、私たちは行動をしません。「大学に行けないのなら、勉強しない」し「全国大会に行けないのなら、練習しない」わけです。

では、私たちはなぜ「支援をする」のでしょうか?

色々な目的が思い浮かぶと思います。「人の笑顔が見たいから」「困っている人を助けたいから」「人の役に立ちたいから」など、いずれも心温まる目的だと思います。

しかし、「支援する」のが行動である以上、「勉強する」「練習する」のと同じで、自らが立てた目的を達成するために行われています。少し意地悪を言うと、「人の笑顔が見られないなら」、「困っている人が助からないのなら」、「人の役に立たないのなら」支援しないことになります。つまり支援するのに目的があると、自分の利益とならないとわかれば支援しなくなってしまいます。

だからといって、自分の利益を満たすために支援してしまうと、支援される人は、堪ったものではありません。
「なんだ、お前の自己満足のために、私は支援されているのか」と憤ることでしょう。

「支援する」のに目的があれば利己的になってしまう。でも、目的がなければ「支援する」ことはできない。このままではどん詰まりです。

そこで少し視点を変えて考えてみましょう。

つまり目的に変わる「何か」があればよいのです。その「何か」をカントは「義務」だと指摘しました。

「義務」とは「すべき」という文脈で語られる言葉です。そこには「だれかのために」や「自分のために」という目的はありません。要するに「支援すべきだから、支援する」ということです。ここに自分の利益が介在する余地はありません。

人間である以上、どうしても利己的な側面があります。しかしそれが過ぎれば、相手は私の利益を満たすための道具になってしまいます。支援も同じです。かなり意識して支援しないと、相手は自己満足の手段となってしまう危険性が潜んでいます。

だからこそ支援だけは、義務に適った行為であって欲しいと願っています。

この記事を書いた人
岡崎 幸友
岡崎 幸友 - おかざき ゆきとも -
専攻は倫理学で、特に「善の実現に至る道筋」に関心があります。また独我論からの脱出が課題です。

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