私の愛する音楽家~バッハ~
私が10年間かけて続けてきた活動の一つに、介護保険施設での音楽ボランティア活動があります。
音楽は演奏する側も聴衆側をも幸せにします。
今日は、私が愛してやまない音楽家バッハの生涯をたどることにより、バッハの音楽が生まれた背景について考えていきたいと思います。
ヨハン・セバスチャン・バッハは、1685年3月にドイツのアイゼナッハという町で楽士の父の末っ子として生まれたといわれています。
バッハの家は代々偉大なる音楽家を生み出していましたが、ヨハン・セバスチャン・バッハ特に優れた音楽家であり、大バッハとも呼ばれています。
小さいころからオルガン、ハープシコードなどを弾き始め、父の教えの通り、優れた音楽家への道を進み始めました。
しかし、バッハが幼い頃、続けて母と父を亡くし、残されたバッハの兄弟は親族に預けられることとなりました。
しかし、このような苦境のなか、教会のオルガン奏者として採用されたバッハは、1703年頃「トッカータとフーガ二短調」を作曲することとなりました。
この曲は、バッハのオルガン曲の中でももっとも有名な曲の一つであり、激しい感情を表現した曲であり、バッハは肉食だという解説者もいるくらいです。
バッハは39歳の時にライプツィヒの教会のカントルとなり、ミサ曲の作曲や合唱団の指導を精力的にこなしていたといわれています。
こうして「マタイ受難曲」「ヨハネ受難曲」「ロ短調ミサ」などの大曲が生まれたのです。
この頃の多忙な生活が、バッハの体を蝕み、晩年の失明につながっていったのです。
そして、1750年7月に65歳の人生を閉じました。
「マタイ受難曲」をはじめとする大曲は、幼いバッハが父母と早くに亡くし、そういった大きな悲しみを、「人間の生の世界」と「神」とを少しでも近づけようとするバッハの人生が描かれているのかもしれません。
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