コラム

適性は形成概念:あなたは向いている? それとも向いていない?

 
看護にしても社会福祉にしても、その仕事に向いているか向いていないか、この適性の問題は大事ですよね。

ではどう捉えたらよいのでしょうか。

そもそも適性って、何なのか。

私の大学院修士課程時代の修士論文のテーマは「ケアワーカーの適性」(1992)でした。
当時、上智大学で開催された日本社会福祉学会でも研究発表をおこない、その後「ケアワーカーの適性診断尺度」(1993)という論文も発表しました。
また、修士課程修了後も機会を得て研究を続け、私は日本介護福祉教育学会の学会誌『介護福祉教育』誌に「介護福祉士養成教育における学生の適性」(1997、2000)と題する論文が掲載採用されました。
しかし、続編が公表された2000年を境に、訳あって適性研究は中断しております。

適性研究は現在行っていませんが、私は人間関係に関する授業を担当しており、向き不向きのこの適性について考え、講じることは避けて通ることのできないテーマでもあります。

さしあたり授業の準備のため最初に取ってみた方法は「適性」をキーワードに、インターネットでホームページを検索してみることでした。
すると、偶然にも「看護の部屋」(http://www.torworld.com/toshi/nurse/)というサイトに出会いました(開設者不詳)。
社会福祉士やソーシャルワーカー、あるいは介護福祉士ではないのですが、看護師についても興味をそそられました。
サイトの中に「看護学生Q&A」というコーナーがあり、「適性」に対する質問が4つ記載されていました。
その4つとは、
①私でも看護師になれますか?
②男でも大丈夫ですか?
③血が苦手でも大丈夫ですか?
④不純な動機かもしれませんが…
でした。

ここでは①について紹介して、若干コメントすることにいたしましょう。

「① 私でも看護師になれますか?」で、ホームページの著者は次のように回答しています。

看護職を目指す場合、「自分でもなれるのか?」という不安を抱くのは、ごく自然なことだと思います。
特に3Kとか8Kとか言われている看護の世界ですから…。
はっきり言って、誰でも看護師になれるという訳ではないと思います。
せっかく看護師になろうという意志を持って学校に入っても、途中で挫折してしまう人がいるのが現実です。

では、看護師になるのに必要なことって何でしょう?

一般的に看護師に必要とされている適性について、簡単に紹介したいと思います。

まず、絶対に必要と言われるのが、「健康な心身」です。
看護師には夜勤もありますし、決して楽な労働環境ではありませんので、健康・体力がないと続かないと思います。また、人の命に関わる仕事をするので、そのような緊張感やストレスに耐えられるような精神力も必要とされるでしょう。

次に、社交性やコミュニケーション技術が必要とされています。
患者さんとのコミュニケーションはもちろんのこと、他の医療スタッフも含めて、人間関係をうまく形成する能力は必要でしょう。看護学校でも、友達なしで辛い実習や勉強を乗り越えるのは、至難の業かもしれません。

それから、当たり前のことながら、優しさ・思いやりの心が必要です。
看護師として、患者さんを支えていきたい気持ちがなければ、何も始まりませんから。ただ「白衣の天使に憧れて…」では、患者さんから必要とされる看護師にはなれないと思います(看護を学ぶ過程で、変わる人も多いようですけど)。

最後に、学力を挙げておきます。まずは看護学校に入るためにも学力が必要ですし、入学後も看護に必要な幅広い知識を得なければなりません。さらに最近は、医療もコンピュータ管理されてきていますので、コンピュータはさっぱり…というのも少し困るかもしれません。

…ということで、少し厳しく説明してきましたが、私としては「それでも看護がやりたいんです!」と思える人に、看護の道を歩んでもらいたいです。たいていのことは努力で補えるはずなので、最終的にはやはり、看護への情熱が大切なのだと思いますし。

さて、これを読まれた皆さんはどのように感じられたことでしょう?

キーワード的に拾い上げると、「健康な心身」「社交性」「コミュニケーション技術」「優しさ・思いやりの心」「学力」等々が、適性の構成要素(条件)として挙がっていると言えましょう。しかし、これらの要素は看護師だけに当てはまるのなのでしょうか。

否、これらは看護師のみならず社会福祉等の仕事に携われる人びとにも共通して大切なことと断言してよいと考えられます。

また、私はかつての自身の研究から、上述の内容に加えて、持つべき自己像としての「自己信頼性」「決断性」、性格行動としての「指導性」「持続性」も大事かと考えております。

しかし、そのような適性を誰もが果たして身につけられるのでしょうか。
その一定の答えとしては、私が2000年頃にまでに行っていた適性研究の成果を持ち出すまでもなく、自分自身が一つのモデルケースであり、既に実証済みと考えます。

つまり、適性というのは《形成概念》だということが、断言できると考えています。
適性は、意欲×時間×努力×環境の交互作用により、開花してゆくものなのではないか。人の物事に対する向き/不向きというのは、つまるところ出会いと自分の頑張り次第なのだということを確信しております。

人はいつ花開くか分からない。自分を信じて、なりたい自分に向けて頑張ろうと思って行動し続けることが、人との出会いも相まって、いずれ開花に結びつくのです。

この記事を書いた人
谷川 和昭
谷川 和昭 - たにかわ かずあき -

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