コラム

「大切なこと」をスケッチする⑤ ―難病の人に学ぶ―

 
今年、授業の一環として難病患者の人へのソーシャルワークを学んでいます。

難病とは、
① 発病の機構(原因)が明らかでない
② 治療方法が確立していない
③ 希少な疾患である
④ 長期の療養を必要
とする病気です。

なかには難病の条件を満たしていると考えられるのに、難病と認められていない病気があります。

脳脊髄液減少症はそのような病気です。

今日は、脳脊髄液減少症の方を大学に招き、お話を聞かせてもらいました。
頭痛などの痛み、だるさから無気力になることもあります。
こうした状態であるがゆえに、家事を十分に行えず、母親としての役割をこなせないことがつらい。
仕事を辞めざるを得ず、人とのかかわりが少なくなる。

そうした中で、社会から取り残されていく感じがする。

人生における不公平さを感じる。

病気と認めてくれる医師が少ないため、周囲からの理解が得られにくく、「さぼっている」と思われることもあるとのことでした。

Aさんは脳脊髄液減少症になり、上記のような著しい不利益を被っています。
一方、私やその他の多くの人はそうした不利益を被っていません。

Aさんがそのような病気になったのは「たまたま」であり、本人に責任はありません。

私や他の人がなったかもしれなかったのです。本人に責任はまったくなく、かつ、その状態が酷であればあるほど、その分を埋め合わせる(補償をする)ことが正しいこと(正義に適ったこと)です。

しかし、十分に補償されていなければ、その生活困難は「不正義の状態」です。

また、そうした経験に対して、安易に「共感」という言葉は使えません。

私たちは同様の経験をしていないからです。

では、どう考えればいいのでしょうか。

神谷美恵子さんはハンセン病患者を前にして「なぜ私たちでなくあなたが? あなたは代わってくださったのだ」という詩を詠みました。
そして、大変な姿に接すると、「切なさと申し訳なさの一杯になる」と述べています。
異論はあると思いますが、脳脊髄液減少症や難病患者の人に対しては、共感ではなく「申し訳なさ」の方が、気持ちを表すには適切なように思えます。

私たちは普段、生活困難を「不正義」と捉える発想は持っていないと思います。

でも、少なくとも脳脊髄液減少症や難病患者の人の生活困難は「不正義」ではないでしょうか。

こう捉える必要があると考えます。

また今日は、共感が難しい人や状態に対して、「申し訳なさ」という気持ちがあることに気づかされました。

大切なことは、当事者を通して学べるのだと思います。

この記事を書いた人
中村 剛
中村 剛 - なかむら たけし -
福祉現場の経験と哲学という営みを通して、社会福祉の根拠となる「知」を明らかにしたいと思っています。

RELATED POST関連記事

  • 「社会福祉専門職」としてのソーシャルワーカー
    ソーシャルワークとは、基本的人権の尊重と社会正義に基づき、福祉に関する専門的知識と技術を用いて、生活... [...続きを読む]
  • オンライン留学(後編)
    後編は、オンライン留学プログラムから得られたものについて整理してみたいと思います。  私は5日間の全... [...続きを読む]
  • 「大切なこと」をスケッチする④―負担は「迷惑」でなく「分かち合うもの」
    年を取り介護が必要になると、多くの人が「子どもには迷惑をかけたくない」と思うのではないでしょうか。 ... [...続きを読む]

LATEST POST最新の記事

  • 本学伝統のコミュニティアワーのテーマに関する覚書(後編)
      本学が開学以来、毎年恒例となっているコミュニティアワー報告会の(対面でおこなわれた)2... [...続きを読む]
  • 日本で唯一!関福大の「スポーツ福祉学」とは?
    従来、スポーツと福祉の関わり方と言えば、アダプテッドスポーツ、障がい者スポーツ(パラスポーツ)、リハ... [...続きを読む]
  • なぜ社会福祉学部で政策やビジネスを学ぶのか
    タイトル、2024年4月から関西福祉学部社会福祉学部社会福祉学科では、新たに社会マネジメント専攻が立... [...続きを読む]